日本降伏の瞬間!


全権・梅津美治郎のサインの瞬間。それを見る重光葵



 日本はポツダム宣言を受け入れ、1945年9月2日、戦艦ミズーリ甲板にて降伏文書にサインします。まさに日本の敗戦が決まった瞬間ですな。日本側全権は梅津美治郎参謀総長と重光葵外相。重光は片足が義足で、甲板までステッキを頼りに喘ぎ喘ぎ登りました。そして甲板上で一杯の水を所望しますが、冷たく断られたといいます。
 甲板での様子を、重光葵に随行した外交官・加瀬俊一は手記にこう書いています。

《上甲板は黒山の人だかりだった。……すぐ前には緑の布に覆われたテーブルの上に降伏文書と覚しき書類が置いてあり、これを挟んで戦勝国代表が一団になって立っていた。赤、青、緑、金、茶と色とりどりの服装に、肩章・徽章・勲章がまぶしく輝く。周囲には褐色の軍服を着た米軍の将官が立ち並び、燃えるような憎悪の目ーーと私は思った一一を光らせている。……生まれていまだかつて、人間の視線がこれほどの苦痛を与えるものだとは知らなかった》

 まさに敗者の屈辱。ところが、調印後のマッカーサーの演説を聞くと、加瀬は 

 《私はただただ感動した。呪縛され、電撃にあったように、身じろぎもしなかった。生ける勇士にも、死せる犠牲者にも、この演説こそは、まことに永久に枯れることなき花環であった》  (『ミズリー号への道程』)

  とまで書いているんですねぇ。この《自由と寛容と正義の精神》に溢れた演説、一読の価値ありです。 

 
全権・重光葵のサインの瞬間(9時4分)



マッカーサー連合国軍最高司令官の演説


  主要交戦国の代表たるわれわれは、平和を回復すべき厳粛なる協定を締結するためこの場所に集まった。相異なる理想とイデオロギーとをめぐる相剋は、世界の戦場においてすでに決定されたのである。従っていまさら改めて議論し討議する必要はない。更にまた全地球上民衆の大部分を代表するわれわれは、相互不信、悪意或いは憎悪の精神をもってここに集まったのでもなく、むしろ戦勝国もまた敗戦国もともに、われわれが関与せんとしている神聖なる目的に添い得るただ一つのより高き威厳に向かって立ち到ることこそ、われわれの意図するところである。
 われわれ各国民のすべては、この場所で正式に引き受けようとする事業の責任をなんらの留保もなく忠実に担当する。この厳粛なる式典を機会として、過去の流血と蛮行からよりよき世界一一信頼と諒解との上に築かれる世界一一、人類の尊厳並びに人類の最も希求する願い、すなわち自由、寛容及び正義の実現のために捧げられた世界が打ち樹(た)てられることこそ、余の最大の望みであり、まさにこれこそ人類の望みである。
  日本帝国軍隊の降伏の決定さるべき条項並びに条件は、諸君の前にいま提示された降伏文書の中に含まれている。連合国の最高司令官としての資格をもって、余が代表する諸国の伝統のもとに正義と寛容とをもって余の責任を果たし、一方降伏条件が完全急速かつ忠実に遵守されるようあらゆる必要な処置をとることこそ、余の固き意図であることをここに声明するものである。
 余はここに日本天皇陛下、日本政府並びに日本帝国大本営の代表に対して、降伏文書の所定の箇所に調印することを求めるものである。(1945年9月3日・毎日新聞)

 
 で、日本人を感動させた上で、最後のとどめがこれ。調印式直後、ラジオでトルーマン大統領が行った演説。

《今次の勝利は武器による勝利以上の物であり、圧制に対する自由の勝利である、……原子爆弾を発明し得る自由な民衆は今後に横はる一切の困難を征服出来る一切の精力と決意を使用することが出来よう》(高見順「敗戦日記」)
 
  原爆まで自由の成果にされちゃ、立つ瀬がないよ、ホントに。

 それにしてもアメリカは、アメとムチの使い分けが上手だね。
 最後に、アメリカの一番すごい点を書いておきます。

《甲 板のわきに、額に入った星条旗が飾られていた。色が褪せて、州の数を示す星が少なかった。私は直感的に、ペルリの旗艦の『ポーハッタン』が下田沖に現れた時に掲げた旗だ、と思った。ドラマの演出だと思った。……私は「これでもか、これでもか」というように、アメリカの力を見せつけたものだと、受け止めた》(加瀬俊一『あの時「昭和」が変わった』)

  アメリカは日米両国の因縁の深さを、アメリカ優位のもとに、さりげなく示そうとしていたのでした。

更新:2004年9月10日

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