珍スポット尾道編
耕三寺「洞窟地獄」へ行く

耕三寺
耕三寺の山門(手前)と中門

 尾道から船に乗って30分、生口島(いくちじま)で降りると、そこには日本中のあらゆる有名建築をコピーした珍寺があります。
 その名は耕三寺。鋼管の溶接技術者だった耕三寺耕三和上氏が、私財を投じて亡き母を弔うために建造したのが始まりです。歴史は古く、昭和初期から30数年かけて完成しました。
 
 さっそく行ってみると、山門は京都御所・紫宸殿を模し、中門は法隆寺の西院伽藍をコピーしています。コピーというと言葉が悪いですが、オリジナルに感化されたニュー建築といった感じでしょうか。
 そしてそのまま階段を上ると、室生寺そっくりの五重塔が! 

耕三寺
こちら本物そっくり

 次に登場する「孝養門」は、日光東照宮・陽明門を元にしています。なんと文部省からオリジナルの図面を取り寄せて10年がかりで完成させたもので、どことなく中国っぽいところが粋ですな? オリジナルからあえて微妙にずらした摸倣が素晴らしい!

耕三寺 耕三寺の陽明門
左が孝養門、右が日光の陽明門

 
 さて、ここまで来たら本堂が気になるところですが、こちらは宇治平等院鳳凰堂を模しています。
耕三寺 耕三寺の平等院鳳凰堂
左が本堂、右が宇治の平等院鳳凰堂

 それにしても、すっげ〜豪華絢爛。だいたいこういったコピー建築はしょぼさが目に付くことが多いんですが、ここはハッキリ言って超立派。国の有形文化財にまでなってるんだから、すごいっす。

 で、なんだか珍スポットのつもりで行ったのに、妙に感心してしまい、これ以上書くネタがなくて困ってる俺ですが……。

 実はこの耕三寺のおすすめスポットは長い洞窟につくられた「地獄めぐり」なのです。本来、洞窟というのは「死と生まれ変わり」を象徴する聖なるスポットなんですが、まさにこの洞窟はそうした疑似体験がたっぷり味わえるのですよ。
 というわけで今回はちょっくら地獄ツアーです。


閻魔大王
こちら閻魔大王


 日本人の地獄観を決定づけたのは、比叡山の源信が985年に書いた『往生要集』とされています。この本の冒頭は、
《それ往生極楽の教行は、濁世末代の目足なり。 道俗貴賤、誰か帰せざる者あらん》
 で始まっていて、極楽に往生するためにはただひたすら「念仏を唱えよ」と強調されています。

 ちなみに地獄は8つに分かれていて、上から

・等活(とうかつ)地獄………殺生の罪
・黒縄(こくじょう)地獄……殺生+盗み
・衆合(しゅごう)地獄………邪淫
・叫喚(きょうかん)地獄……殺生+盗み+邪淫+飲酒
・大叫喚地獄……………………殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語
・焦熱地獄………………………殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語+邪見
・大焦熱地獄……………………殺生+盗み+邪淫+飲酒+妄語+邪見+尼の強姦
・阿鼻(あび)または無間(むげん)地獄……父母の殺害や仏法非難


 となっています。それぞれに16の地獄がおまけでくっついているため、全部で地獄は136(17×8)もあるのです。
 
 第1の等活地獄は人間界の1000由旬(ゆじゅん)下に位置するとされています。由旬は古いインドの距離の単位で、7kmとも14kmとも60kmとも言われています。
 ここに堕ちると、罪人はお互いを傷つけあうため、血や肉はなくなってただ骨だけ残ってる状況になっていますが、さらに鉄杖や鉄棒を持った獄卒に全身を打ち砕かれ、鋭利な刀で魚のように割かれるという……ちょっと痛そうすぎですな。

等活地獄
こちらが等活地獄


 ちなみに等活地獄の刑期は地獄時間で500年となっています。
 さて、地獄時間500年とは、いったいどれくらいの時間なんでしょうか? 『往生要集』の原文には、
《人間五十年、為四天王天一日一夜、其寿五百歳、以四天王天寿、為此地獄一日一夜、其寿五百歳》
 とあります。地獄時間の1日は天界にいる四天王の寿命500歳と一緒で、天界の1日は人間界の50年にあたると……つまり50×365×500×365×500で1兆6653億1250年! いやはや地獄は恐ろしいところです。

大焦熱地獄
こちら大焦熱地獄


 そんな地獄を出ると、目の前には高さ15mの救世観音がそびえ、その先には「未来心の丘」が広がっています。
 なんともコメントしにくい不思議なスポットなのでありました。

救世観音
救世観音

未来心の丘
未来心の丘


観音様の正体
大観音寺

制作:2005年9月27日

<おまけ>

耕三寺
本当はね、現世に生まれ変わることのほうが苦しみなのです。「生苦」……いい言葉ですな。

耕三寺
耕三寺全景。非常に密な珍スポットですよ。

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