冷蔵庫の誕生
あるいは製氷業界M&A興亡史

日本初の冷蔵庫
東芝の日本初の冷蔵庫


 1870年(明治3年)の梅雨時の話です。
 福沢諭吉は熱病にかかり、氷を所望します。しかし、当時は氷を簡単に手に入れることはできません。塾生たちはあわてますが、たまたま福井藩主だった松平春嶽が、外国から製氷機を購入していたことがわかります。

 春嶽は、せっかく買った氷製造器の使い方がわからず、放置したまま。塾生がお願いして借り出し、大学東校の教授だった宇都宮三郎の元に持ち込みます。機械自体は単純な構造だったので、すぐに氷を作ることができました。こうして、福沢の熱病は治まります。これが日本で初めて人工的に氷が作られた瞬間です(『時事新報』1898年8月20日)。

アイスバー
現代ではグラスもテーブルもすべて氷のアイスバーが存在
(東京・西麻布、現存せず)


 氷の歴史は古く、『日本書紀』には仁徳天皇の時代の話として、

《土を掘ること丈余(ひとつえあまり=3m)、草を以て其の上に蓋(ふ)く。敦(あつ)く茅荻(すすき)を敷きて、氷を取りて、以て其の上に置く》(仁徳62年)

 とあります。これは氷室のことで、3m地下に草を敷き、さらにススキを敷いてその上に氷を置けば、夏でも氷は溶けないというのです。こうして仁徳天皇は、記録上初めて、氷を食べた天皇となりました。
『延喜式(えんぎしき)』には、主水司(しゅすいし)が管理する氷室が、山城・大和・河内・近江・丹波に合計21室あったと書かれています。

 平安時代には、清少納言が『枕草子』で《削り氷にあまづら(甘葛)入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる》と書いており、これはかき氷の記録として最古だと思われます。
 このように、日本では、長らく氷は貴族だけが楽しめるものでした。
 一般人が氷を食べられるようになったのは明治以降です。

氷水屋
氷水屋(エドワード・グリー、1883年)
看板に描かれた「函」とは「函館」のこと


 横浜開港後、アメリカ人がボストンから氷を輸入して大儲けしていましたが、これに着目したのが中川嘉兵衛。東京に初めて屠場を作り、牛鍋屋の元祖を開業した人物です。
 中川は富士山の裾野の雪や諏訪湖の氷など、全国各地の氷雪を横浜に移送しましたが、途中で溶けて、大損を繰り返すばかり。1862年(文久2年)には横浜で氷屋を開き大人気だったといわれますが、結局、商売はあまりうまくいきませんでした。

 一般的には、日本初の氷屋は1869年(明治2年)、町田房造が横浜に開いた店だとされています(『横浜沿革史』による)。
 その後、1871年(明治4年)、中川嘉兵衛が佐藤終吉と組んで函館・五稜郭の外壕で天然氷を生産し、「函館氷」と銘打って東京・横浜で大々的に売り出しました。

五稜郭
氷製造所だった五稜郭


 函館氷は大評判となり、まもなく輸入氷の代名詞だった「ボストン氷」を駆逐し、氷販売の独占に成功します。
 氷屋の看板は、中央に大きく「氷」、左右に「函館」と描くデザインで広まりました。

函館氷の看板
1891年頃の「函館氷」の看板


 その後、粗悪な氷で赤痢やコレラが広まることを恐れ、1878年(明治11年)、内務省は「氷製造人並販売人取締規則」を公布し、氷販売に衛生検査が導入。1881年、函館氷は内国勧業博覧会で龍紋の賞牌を受け、以後、「龍紋氷」というブランドでも知られるようになりました。

 この段階では、まだ製氷機械は普及しておらず、すべて天然氷です。
 すでに東京の川沿いにはいくつもの氷蔵ができていましたが、輸送にしても保存にしても、問題はどうやって夏場でも氷を溶かさないようにするかです。

 氷を解かす原因は熱だけなので、熱伝導率の低いもので氷を包み、外気との接触を最小限にし、さらに湿気の流入を防ぐしかありません。
 1912年に刊行された『実地応用漁獲物貯蔵及製造新書』という本によると、細切りしたワラの伝導率を100とした場合、そのほかの物質の伝導率は次のようになっています。

  乾燥した綿   70
  乾燥した大麦殻 90
  乾燥した小麦殻 92
  木の葉     96
  乾燥した鋸くず 114
  濡れた鋸くず  260
  土       560
  砂       630
 

 綿や麦わらなどで氷を包めば溶けにくいことがわかりますが、これらは入手しづらく、コストもかかります。それで最善の断熱材とされたのがノコギリくずでした。こうして、明治時代のはじめ、ノコギリくずは異常な値段に高騰したのです。

 では、日本初の製氷会社はいつできたのか。

日東製氷のアンモニア圧縮機
気体のアンモニアを圧縮(日東製氷の圧縮機)


 アンモニアを使った製造方法は幕末から知られていましたが、日本初の製氷会社は、1883年(明治16年)に設立された東京製氷会社です。その後、渋沢栄一や西川虎之助らが青山製氷所を設立。
「函館氷」は、次第に人工氷に押され始めます。そこで、中川は1899年、東京機械製氷を設立します。
 
 青山製氷所出身の和合英太郎は、その後、東京製氷をはじめ、同業他社を片っ端から買収し、1907年(明治40年)、日本製氷を設立します。この段階で、日本の製氷企業は

 東京  :日本製氷
 関西  :龍紋氷室
 中国九州:東洋製氷

 の三つ巴となります。
 1919年、日本製氷は東洋製氷を吸収し、日東製氷に改組。これで、国内の55%の氷製造を押さえます。
 そして、1928年(昭和3年)、龍紋氷室とも合併し、氷製造のガリバー大日本製氷が誕生します。

日東製氷のアンモニア凝縮機
凝縮機でアンモニアを液化。これが気化するときに周囲の熱を奪う


 大日本製氷は日本の製氷業の王者になったといいたいところですが、実はそうではありません。この段階になると、水産業をはじめ、氷の存在は当たり前のものになっていますが、むしろ重要なのは「冷蔵」でした。

 1913年(大正2年)の資料では、製氷機械を動かすのに、電気だけでなく石油や蒸気機関も使われています(『我国に於ける各種工業用動力と電気の利用に就て』)。
 動力が完全に電化していくと同時に、製氷は特殊技術ではなくなり、製氷業界はより規模の大きい冷蔵業界に買収されていくのです。

 1927年(昭和2年)に設立された戸畑冷蔵は、1932年、中央冷蔵を買収し、合同水産となります。合同水産は帝国冷蔵、昭和冷凍、そして大日本製氷などを一挙に合併し、1934年、日本食料工業となりました。
 戸畑冷蔵の設立者は鮎川義介で、財閥・日本産業(日産)の総帥です。日産グループには日本水産もあり、こうして日本の製氷、冷蔵、水産事業の多くを日産コンツェルンが握ったのです(現在は日本水産とニチレイ=日本冷蔵が残存)。

築地市場の氷製造機
築地市場の氷製造機


 ここで、業務用ではなく、家庭用冷蔵庫の流れを見ておきます。
 明治時代には、氷を上部に置くことで、ものを冷やす冷蔵庫が登場しています。

アイスボックス
氷式冷蔵庫アイスボックス
(上段に氷、下段に食物)


 日本初の家庭用の電気冷蔵庫が登場したのは1923年(大正12年)で、GE製の輸入品でした。
 国産冷蔵庫は、東芝が1930年に第1号を発売しています。

東芝の日本初冷蔵庫
日本初の冷蔵庫(東芝未来科学館)



 電気冷蔵庫のルーツは、1834年にアメリカのパーキンスが発明したエーテル圧縮型の製氷機です。原理は気化熱を利用したもので、

 気体のエーテルに圧力を加えて高温・高圧化(圧縮機=コンプレッサ)
 →冷却パイプを通す間に熱を放出して液化(凝縮機=コンデンサ)
 →液化したエーテルを低圧にして蒸発させ、気化熱で冷却(蒸発器=エバポレータ)


 という流れを繰り返す仕組みです。これは現在の冷蔵庫と原理はまったく同じ。冷蔵庫の裏が熱いのはコンデンサのせいです。

家庭用冷蔵庫の構造
家庭用冷蔵庫の構造(『製造化学図譜』)


 冷媒には長らくアンモニアが使われましたが、戦後はフロンが使われました。フロンは地球のオゾン層を破壊することから、いまではイソブタンやシクロペンタンなどの炭化水素が使われています。


2014年6月23日


<おまけ>
 明治4年、売り出されたばかりの函館氷を使って、東京で氷水を1杯1銭で売り歩いた人物がいます。これが浅野総一郎。夏場は儲かりましたが、冬はもちろん売れません。
 そこで、居酒屋で使われた「竹の皮」の販売にシフトします。千葉県の姉ヶ崎で竹の皮を仕入れるんですが、ここは薪と木炭の産地でもありました。

 浅野は、石炭を横浜ガス局に販売するうち、コークスとコールタールが大量の廃棄物になって出ることを知ります。
 この廃棄物を持ち込んだ先が官営深川セメント製造所。ここは、福沢諭吉を救った宇都宮三郎が中心となって、1875年(明治8年)に操業を開始した日本初のセメント工場です。
 セメント製造には、石炭よりコークスやコールタールの方が向いていることがわかり、浅野はここで大儲けします。

 官営深川セメント製造所は、後に経営難となり、明治14年、浅野総一郎に安価で払い下げられます。払い下げと同時に、コークスやコールタールが流行中のコレラに効くことがわかり、浅野セメントは一気に大企業への道を駆け上がります。

 函館氷は、もともと五稜郭の外堀を使って製造していました。しかし、これでは汚れもひどく、なかなか高品質の氷ができません。これを救ったのがセメントで、以後、天然氷を固める「氷池」には必須となりました。

 ちなみに、普通に氷を固めると白くなりますが、撹拌しながら固めると、空気が抜け、透明なものになります。とはいえ、中心部はどうしても白くなってしまいますけどね。
氷池
氷池(国会図書館所蔵『実験夏期飲料製法』より)

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