水府煙草




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雲井


 夏目漱石『吾輩は猫である」にこんなシーンがあります。

《「はてね」と迷亭先生は金唐皮(きんからかわ)の煙草入から煙草をつまみ出す。(中略) 
 迷亭先生は図に乗って腹の底から雲井を鼻の孔(あな)まで吐き返す。途中で煙が戸迷(とまど)いをして咽喉(のど)の出口へ引きかかる。先生は煙管(きせる)を握ってごほんごほんと咽(むせ)び返る》

 途中で出てくる「雲井」とは何か。
 これは、当時、人気だった茨城産のタバコの銘柄です。煙管と書いてあるので、紙タバコではなく、刻みタバコであることがわかります。

 かつて茨城県はタバコの名産地でした。
 江戸時代(1620年頃?)、有名な薩摩タバコの国分(こくぶ)の種を移入したところ、栽培がうまくいき、17世紀末には特産物となりました。これを水府煙草といいます。

 水戸藩主だった徳川光圀は水府煙草の栽培を奨励し、幕府の儒者・林羅山に煙草を贈ったこともあります。その水府煙草でもっとも有名な銘柄が「雲井」です。

 幕末、水戸の祝町遊郭にいた遊女「雲井」が、自分の源氏名を銘柄にしたオリジナル煙草を作り、馴染み客に配ったのが「雲井」の始まりです。雲井は、清酒における「正宗」のような、地域を代表する銘柄となりました。

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雲井


 タバコの製造は、当初、乾燥した葉煙草を折り重ね、熟練の裁断工が手で切っていました。
 その後、2人組で、左右の庖丁を交互に出して切断する「後足踏式」という簡単な機械が導入されました。明治37年に専売制が敷かれると、動力により自動切断機が導入されていきます。
 
 水府煙草は、そのほとんどが問屋を仲介して東京に流され、地元ではあまり消費されませんでした。
「雲井」以外に、「水府」「白梅」などの銘柄もあり、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は「白梅」を愛用したと伝えられています。

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水府