江戸時代のタバコ



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江戸時代の煙草屋(旧たばこと塩の博物館)


 斎藤月岑が書いた『武江年表』は、江戸時代の年表・地誌として第一級の資料です。
 この1605年の項目に、タバコの伝来について記録されています。

《南蛮よりタバコ、蕃桝(とうがらし)を渡す。長崎にて桜馬場へはじめてタバコを栽(う)うる(一説、天正中蛮人持ち渡るともいふ)》

 そして、1607年には、煙草が全国に広まったと記録されています。

《煙草・諸州へ弘まる。上下これを翫(もてあそ)ぶ(始めは葉を刻みて紙に貼し、これを巻きて火を吹き、其のけふりを吸ひ、其の後は、きせるを用ひて紙に貼せず。きせるの製は真鍮(しんちゅう)を用ひ、或ひは竹のラウを用ふ。又、丈長きものを下部にもたせて、遊行せる図も見えたり)》

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長いキセルを従者に持たせる様子


 タバコ自体は16世紀末に渡来したともいわれますが、表立って伝わってわずか2年で日本全国に広がったのです。
江戸時代には、農村部では子供も当たり前のように喫煙していました。

 当時のタバコは刻みタバコでした。
 煙管(きせる)は煙草とともに外国人によってもたらされましたが、その語源はカンボジア語のkhsier、つまり「管」という意味だと言われています。

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江戸時代の「キセル」の看板(『摂津名所図会』)


 キセルは以下の3つの構造でできています。

火皿雁首:刻み煙草を詰める火皿(お椀形の部分)に首がついたもの
吸口:口にくわえる部分
羅宇(らう、らお):雁首と吸口を結ぶところ。国のラオスが語源?

 羅宇は竹でできていますが、それ以外は真鍮や銀・金・銅張りなどです。キセル全体が金属製のものは「なた豆」と呼ばれました。

 江戸時代中期の煙草屋は、菱形に「た」「ば」「こ」の江戸仮名を1つにした図形文字を看板に書いていました。
 末期になると、障子に茶色で煙草の葉を描いた看板が普及しました。

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江戸時代のタバコ屋の看板(西川祐信『百人女郎品定』)

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江戸時代のタバコ屋(『摂津名所図会』)