旧「東伏見宮」別邸を行く


旧「東伏見宮」別邸
(横浜プリンスホテル貴賓館)


 三島由紀夫の『春の雪』では、伯爵家の令嬢・綾倉聡子が、幼なじみへの愛情を押しとどめつつ、皇族・洞院宮家への縁談を受け入れてしまいます。
 その洞院宮家の別邸は、「海を見下ろす高い崖上にあり、御殿風の外観を持った洋館」で、そこには「大理石の階段がついていた」と書かれています。この邸宅のモデルとされるのが、横浜プリンスホテルの貴賓館。

 この貴賓館は横浜市の歴史的建造物に指定されていますが、2006年6月30日、横浜プリンスが営業停止したことを受け、閉鎖されてしまいました。
 今後、貴賓館は保存か移築される見込みですが、将来の保証はありません。
 そんなわけで、まずは横浜プリンスに行って、名建築をチェックです。



 この貴賓館は、旧皇族・東伏見宮邦英王の別邸として、昭和12年(1937)、総予算100万円で建てられました。ちなみにこの年の公務員の初任給は75円。
 さて、入口を入ると、いきなり豪華な大理石の階段が。さらに階段を上ると、なにやら天井に青い色が。


入口のすぐ脇に階段。その上は広いロビー


 この青い部分を見上げると、こんな感じ。実は最上階は展望室になっているのです。


天井を見上げたところと、天井から見下ろしたところ


 この展望室に行くには、薄暗い階段を上がっていくのです。
 今でこそ眺めはそれほど良くありませんが、その昔は絶景だったはずです。

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狭い展望室が粋ですな


 部屋は、さまざまな意匠が凝らされています。


天井の明かりは、ほんとバラエティに富んでいました。照明ガラスの模様も1つ1つ違うのだ。


 こうして宮様の豪邸を堪能した俺ですが、このお屋敷の本当の?ポイントは、このピアノ。
 


 ただし、おそらくはこのピアノ自体は最近のもので、たいした価値はありません。ですが、このお屋敷では、当主のピアノが、毎日のように奏でられていたはずなのです。
 そこで、このお屋敷の来歴についてちょっと説明しておきます。

 戦後、GHQに接収され、まもなく西武グループに買収されたこの邸宅の主は、東伏見宮邦英王。
 東伏見宮家は、創設した依仁親王が1代で廃絶、そこで、周子妃(かねこ、岩倉具定公爵の長女)に可愛がられていた久邇宮邦英王が、養子的な扱いで祭祀を継承しました。


周子妃と若き頃の邦英王
 
 邦英王は、学習院初等科2年のとき、ピアノを習い始めたといいます。陸奥宗光の長男の夫人であるイギリス人から英語とドイツ語を習った際、ピアノも一緒に教わりました。その後は独習を重ね、音楽部員として活躍、昭和5年(1930)にベートーベン「ピアノ協奏曲第1番」を演奏した際には、秩父宮をはじめ皇族が大挙して学習院を訪れた記録が残っているそうです。
 
 さらに、昭和7年、近衛秀麿指揮の新交響楽団で、ハイドンの「ピアノ協奏曲ニ長調」をソロで録音演奏しました。これが、日本人初のピアノ協奏曲の録音でした。
 余談ながら、近衛秀麿の新交響楽団は、その後、NHK交響楽団と名を改めました(岩野裕一「『N響生みの親』近衛秀麿の演奏復刻」北海道新聞2006年6月29日による)。

 さて、敗戦で皇族は皇室から離脱します。
 戦後、仏教美術の道に進んだ東伏見邦英伯爵は、京都の青蓮院門跡の門主となりました。東伏見慈洽と号し、実に2004年まで門主の地位にありました。引退後の現在は、京都仏教会会長を務めています。

 最後に余談のように書いておきますが、2000年6月に亡くなった皇太后さま(香淳皇后=昭和天皇の妻)をしのぶ集いが、青蓮院で行われたことがあります。このときはチェロの演奏などが行われたんですが、なぜ青蓮院で開催されたのか?
 答えは簡単。東伏見慈洽門主が、香淳皇后の弟だから。
 つまり、今回訪問したこのお屋敷は、実は昭和天皇の義弟の邸宅だったのです。

 なんというか、日本の文化って、かなり高尚な部分で通底してるんですね。

制作:2006年7月10日

<おまけ>
貴賓館から見た横浜プリンスホテル。

 実はこの建物は、建築界の重鎮・村野藤吾の作品。この建築は壊されてマンションになってしまいましたが、本当は保存運動してもいいくらいの作品です。
 意外と短命で、ちょっともったいないな。