一説によると、企業は創業からわずか5年間で半数が倒産するといいます。そして、次の5年で、なんと8割以上が倒産するのだそうです。この数字がどの程度確かなものかはわかりませんが、「千3つ」(成功するのは1000社に3社)という言葉もありますし、また私の実感からしても、ある程度正しい数字だと言えるでしょう。
 それほど起業を永続させるのは困難な話なのです。では、その失敗にはいったいどのようなものがあるのか見ていきましょう。

第1節 無謀な挑戦が死を招く

 成功体験を参考にして起業することは一見成功への近道に見えますが、現実には成功よりも失敗のほうがはるかに多いので、失敗を参考にして、その轍を踏まないようにする方が役立つようです。

 以下は私が出会った起業家との体験です。私が失敗を予見できて投資しなかった例と、投資までいかずに支援し始めた段階で失敗した事例をすべて列挙しました。なかには他のエンジェルと協調して支援を検討したものもあります。

 これら事例のほとんどは、起業家が現在も事業を継続しており、失敗例として実名をあげるわけにいかないので、すべて仮名を使っています。廃業または合併などで現存していないもの、起業家の了解をもらった会社は実名で書きました。

 では、「行け行けどんどん」でリスクに気づかなかった例を3つの事例で説明します。

(1)参入事業に必要なコア・コンピタンス(核となる競争力)、専門的能力を持つ人材、事業インフラがないにもかかわらず、目先の売上げが欲しいばかりにある業務を請負ったものの、契約仕様を満たすことができずトラブルが多発した

(2)売上げが急成長したのに、ビジネスモデルやビジネスプランを見直さず、その後の市場環境や競合の予測もなく、事業拡大に対応すべく新卒の大量採用、オフィスの拡張を行った。しかし、経済環境の変化で多くの顧客が予算を引締め、大手競合の出現もあって売価が低下し、赤字決算となった

(3)事業の拡大に向けてポータルサイトを立ち上げたが、情報を書き込んでくれる人、情報を取りに来てくれる人が少ないため、広告収入が目標どおり上がらず、半年でサイトの閉鎖を余儀なくされた

 IAIジャパンが定めた「起業家の皆さんに期待する行動指針」のなかに次のような項目があります。

 ●常に創業の精神を忘れず、健全なる事業創造に向け全力を注ぎ、成功に向けチャレンジし続けることをコミットします。
 ●チャンスとリスクに対し、鋭敏な感性を磨くとともに迅速に行動します。

 ベンチャー企業は「虎穴に入らずんば、虎児を得ず」ではありませんが、大きなビジネスチャンスに対し、リスクがあっても果敢に、創造力を持ってチャレンジすることが必要だと考えています。

 わくわくするようなビジネスチャンスへの挑戦には、どきどきするようなリスクが必ずと言っていいほどついてきます。チャンスとリスクが裏腹であることは、起業の世界だけではありませんが、起業においてはチャンスと思ったらそれに浮かれることなく、自社の持つコア・コンピタンス、資金力、社員の持つ能力、事業インフラなど事業遂行能力を考えるとともに、その事業の持つリスクを考えて、事業として成り立つか、万が一のときも会社は生き残れるかを社長として決断しなくてはなりません。

 ここであげた3例は「無謀な挑戦」といっていますが、ビジネスチャンスに対してリスクを過小評価して飛び乗り、失敗した事例です。
 自信家の起業家ほど陥りやすいところですので注意が必要です。

 事前に第三者に相談すればいろいろと意見がもらえ、リスクを考える機会があるにもかかわらず、目の前にチャンスがぶら下がると見境がつかなくなって挑戦をしがちですが、このような決断は多くの場合失敗につながります。では、それぞれの例を具体的に見てみましょう。

失敗例(1)目先の売上げを狙って未知の業務に参入

(1)の事例で、ある大手企業のサービス業務のアウトソーシングを請負うA社は、大きな得意先からの注文が減少して、売上げが大きく減少しました。請負業ですから固定費である人件費が大きく、損益分岐点が高いため、売上げの減少は直ちに営業赤字に結びつきます。

 そこで、減少した売上げを補うために、ある通信会社の「他社回線切替勧誘販売」をその通信会社の販売代理店と契約して請負うこととし、テレホンマーケティング事業に参入しました。

 残念ながらA社は、今までテレホンマーケティングをやったことがなく、ノウハウはもちろん、テレホンマーケティングのためのインフラも持っていませんでした。

 ですが社長は、この事業がそれほど難しいとは考えず、リスクも小さいと考えていたようです。
 
 契約書の内容も十分理解しないまま請負契約を締結し、にわか勉強でノウハウらしきものを学び、電話勧誘をするアルバイターを集め、電話での勧誘スクリプトを作成し、電話回線を設置してテレホンマーケティングを始めました。

 電話をかけるアルバイターには日当の他に他社回線からの切替え契約を取得できた場合のインセンティブも準備しました。アルバイターは電話し、回線を切替えることで電話代が安くなることを強調して契約を取得しました。
 顧客が承諾すると所定のフォームに記入して代理店に送付をしました。
 
 代理店は、これを通信会社に送って、通信会社は切替を承諾した顧客に切替え工事日を確認するのですが、確認したうち40%程度の顧客が承諾した覚えがないというのです。

 契約書には、テレホンマーケティングで承諾した顧客からは直筆で署名・捺印をもらうことと定められていましたが、署名・捺印をもらっていませんでした。

 この結果、最終消費者との間でトラブルが多発し、代理店から委託料金が支払われなくなりました。A社は訴訟も考えたのですが、契約条項の不履行は事実ですし、事業参入にあたって代理店の支援を多く仰いだこともあり、代理店の言い分を飲むこととしました。

 そして、このまま続けても赤字が膨らむだけと判断してこの事業から撤退することにしました。
 
 この失敗はA社が経験のないテレホンマーケティングを、売上げ減少の窮余の策として安易に取り上げてしまったことにあります。無計画のまま突っ走った結果は当然のごとく失敗で、事業撤退する結果となりました。

 テレホンマーケティングという、A社にとっては未知の世界とどのように向き合うのか、依頼企業との契約、業務のプロセス、担当者の教育研修などの計画と実行を十分に検証してから事業を開始すべきところを、社長の甘い判断で無計画に始めたところに失敗の原因があったと考えられます。

 ベンチャー企業では、商品やビジネスモデルが市場で認知され高い評価を受けると、売上げがJカーブ状に急に伸び出します。顧客が増え続けて固定化し、リピートオーダーが増えるのであれば、完全に成長軌道に乗ったと考えてよいでしょう。

 しかし、一部の顧客だけが評価して売上げが急成長するような場合、市場全体がその商品やビジネスモデルを評価しているわけではありませんから、注意が必要です。

失敗例(2)事業計画の見直しをせず業容拡大

(2)の事例のB社は、インターネット上で広告収入を得るどこにでもあるビジネスモデルです。
 
 大手の取引先3社を開拓した結果、2年連続で売上げが2倍になる成長を果たしました。単純に来期もまた倍になり成長が継続するものと考え、事業計画の見直しをせずに、社長の「勘と度胸」で新卒の採用とそのためのオフィスの拡張、PCや机などの機器の購入をしました。

 しかしその後、経済環境の変化、市場の変化、競合の動向を読み間違えたため売上げは停滞し、経費だけが急増することとなりました。この対応策として翌年には社員の大量整理、オフィスの移転と縮小均衡での事業展開を行わざるを得なくなりました。

 インターネットを使い、広告収入で収益を上げるビジネスモデルは参入が比較的容易であるために、ビジネスモデルやビジネスプランなしに安易に参入する起業家が多いようです。

 しかし、この分野は競争も激しく、他社と差別化できる魅力的なビジネスモデルと、ビジネスプランに基づくしっかりした準備なしでの参入は極めてリスクが大きいと考えます。この事例を検証すると、

 ●創業後短期間に売上げを達成し、市場や競合の調査が不十分 なまま、またリスク評価もしないままに人員を増やし、事業を拡張した
 ●十分に検証した計画を実行したわけでもないのに、たまたま結果が出たために、経営者は甘い計画を続け、事業を拡大した
 ●思わぬつまずきのために売上げを一気に落とし、ツケが回ってきた

 ことがわかります。
 このような事例では失敗のダメージも大きく、損失を取り戻すことはほとんど不可能です。
 
 事業を拡大するときには待ち構えるリスクを予測し、それに対する備えをしておけば、リスクが顕在化したときに直ちに対策を取り、人員の採用を中止する、事務所を縮小するなどの処置ができるでしょう。

 そして貴重な資金の過剰な流出を防ぎ、計画の練り直しをすることができます。資金を使い果たしてしまうと、やり直しは利きません。リスクの見落とし、見過ごしは甘い計画の結果です。リスクの見逃しは最大のリスクなのです。

失敗例(3)顧客ニーズとユーザーを未調査

(3)の事例で、コンテンツビジネスを展開したC社は、ベンチャーキャピタルから調達した資金の一部を使い、自社の持つコンテンツとネットワークを使った「生活者向け便利情報」「消費者向け商品評価情報」のポータルサイトを構築しました。

 着眼点はよかったのですが、顧客ニーズ調査とユーザー(情報提供者)調査をろくにしないまま事業を進め、マーケティング戦略が未検討なまま、準備不足のなかでサイトを立ち上げました。
 
 その結果、ポータルサイトの市場認知度も低いままで、便利情報提供者、商品評価情報提供者、サイトへのアクセス者の数が伸びず、広告収入もわずかにとどまりました。少ない投資で始めた事業でしたが、このままでは赤字が続くと判断し、半年でサイトを閉鎖することになりました。
 
 この事例を検証すると、着眼点が間違っていないことを調査するために、商材である「生活者向け便利情報」と「消費者向け商品評価情報」を使ってくれる顧客がどのような層であるか、その顧客に情報を適切に届ける方法は何か、商材を制作するために必要な情報提供者をどのようにして集めるか、という基本的な検討がされていなかったことがわかります。

 ビジネスモデルとして実現可能かどうかは、創業前に十分検証しなければ、成功はおぼつかないのです。

失敗例(4)特許がすべてと勘違い

(4)D社は電磁波の人体への影響を遮断する技術を発明しました。
 日本のみならず、主要国の類似特許がないか調査し、新技術であることを確認したうえで、アメリカ、ヨーロッパはじめ主要国で特許をとりました。

 このために特許事務所に数千万円を支払う結果となりました。特許で技術を保護し、他の追従を許さない態勢ができ、一安心し、実際の生産に取りかかろうとしました。

 ところが、気がつくと特許を取ることで資金を使い果たしてしまい、製品を作成する費用がなくなっていました。資金手当てに奔走しましたが、特許はあるものの、製品のサンプルもなく、融資も投資も受けられず、事業としては失敗してしまいました。

 特許を取得することによって他と差別化を行い、事業を有利に展開することは必要ですが、必要最低限度の特許をとって、サンプル作成の費用を残しておくのは当たり前です。技術の優位性を過信し、何が何でも特許を取ろうとした誤りといえるでしょう。

 特許を取ることが事業の主目的でないことは当然です。技術を生かして製品を作り、販売することによって収益をあげることが目的です。技術にのみ目が行ってしまい、それが目的にすり替わってしまうと、本来の目的である事業に必要な資源の確保を忘れることさえある、という事例です。

第2節 甘い事前準備は後悔のもと

失敗例(5)公的資金を獲得するための事前調査が不備

(5)E社は環境技術案件で、通常廃棄している低温の廃棄ガスや廃棄冷却水の熱を利用したクリーンエネルギー回収システムを開発し、工業化試験を必要とする段階にいたりました。
 旧創造法認定企業の指定を受けることができ、公的資金が得られました。

 しかし、工業化に必要な資金を得ることができないまま、時間が経って公的資金も使い果たし、事業の継続ができなくなりました。その経緯は次のとおりです。

 ●創造法の認定を武器に、中小企業支援機構に資金の申請を行ったところ、原則的に問題ないという担当者からの回答を得ることができた
  ↓
 ●自社で心臓部を開発し、提携相手の大手電力会社系列と、付帯装置と運転要員を提供するという内容で契約が成立、直ちに共同開発を開始した。大手は付帯設備を建設し終わり、心臓部の完成を待つばかりとなった
  ↓
 ●中小企業支援機構の資金が下りるには工業化に成功していることが前提であるとわかり、数件の顧客に発注の約束を取り付けようとしたが、見込み外れに終わった
  ↓
 ●新たな共同開発先を探すべく支援を継続したが、私が紹介した先で起業家が話す内容は自分の都合ばかりで、相手に通じる誠意が感じられない。その点を改善するよう助言しても効果がなく、起業家の資質に問題があることも露呈してしまった


 環境保全は国をあげて取り組んでいるテーマなので、公的資金が得やすいと考えた着眼点はよかったのですが、追加資金が簡単に得られると考え、その確認を取らないまま、次の段階に入ってしまったため、開発の一部を担った大手電力会社の系列には愛想をつかされる結果となってしまいました。この案件では事前準備として、
 
 ●公的資金を得るための十分な事前調査
 ●設備開発の相手との詳細にわたる事前打ち合わせ
 ●完成後の顧客獲得の手段と販売チャネルとの契約

 ができていなかったことが致命傷となりました。

 さらに追い討ちをかけるように起業家の資質が露呈し、それまでは猫をかぶっていたことがわかりました。人間うまくいっているときは現れない面が、行きづまると露見する、いわゆる「貧すれば鈍する」現象となってしまったようです。
 
 この起業家は今では資金もままならず、細々とアルバイトで食いつないでいます。

失敗例(6)助成金の調査が不十分

(6)F社は大豆の有効利用方法を発明し、大学とも共同研究を行って、製品化に向けた開発に注力するところまできました。

 いくつかの助成金を申請し、技術のユニークさから数個の助成金を獲得できました。これらの助成金は対象事業の50%を助成するものだったので、同額の自己資金の投入が必要となりました。増資、借入で自己資金を手当てして、製品化のメドが立つまでになりました。

 開発に資金と労力をかけましたが、すぐに販売にはつながらず、資金が枯渇し、製品化の資金が足りなくなりました。資金手当ても新たな助成金の導入も、このような状況ではままならず、開発途中で大幅な開発計画のカットをせざるを得なくなってしまいました。

 助成金は、対象事業によっては比較的簡単に下りますが、助成事業に対して100%でなく半分程度をカバーするものが多いので、残りは自己資金で賄わなければなりません。
 
 開発した製品が販売に結びつき、資金バランスが取れるまでの計画を、キャッシュフローとして事前に十分考慮した上で開発に取りかからないと、このような残念な結果となってしまいます。

 特に技術出身の起業家は開発のみに集中して、製品化と販売をおろそかにしがちです。ビジネスは製品が市場で受け入れられ、顧客からの注文が繰り返し取れるようになって、初めて成り立つことを忘れてはなりません。

 自分の思いだけで起業するのではなく、自分に足りないところを補ってくれる経営チームを作って、開発、製品化、販売、資金手当てという一連の流れを創業前に確認することが必要だということを、F社の失敗例から学び取ることができます。

失敗例(7)資材の手当がままならない

(7)G工務店はカナダ材を使用して、当世はやりの「ログハウス」のモデルハウスを建築して販売するビジネスを構築しました。
 カナダ材は太さのそろったもので、見栄えの良いログハウスになるのです。

 次第に別荘地などでの需要が出て、建築依頼が来るようになりました。当初は既に輸入され、国内に在庫されているカナダ材を使いましたが、注文の増加で在庫が底をつき、材料の木材手当てに問題が起こりました。

 ログハウス建築に適した木材をカナダから輸入する必要に迫られたのですが、輸入商社に当たったところ、コンテナ1箱が輸入の最低単位でした。
 商社から突きつけられた最低単位は当面の必要量には大きすぎ、置き場、在庫費用を考えると問題外でした。

 その後も需要はいくつか出てきましたが、原料、木材の手当てがままならないので、採算を考慮してやむを得ず注文を断わりました。これで事業としては失敗となりました。

 物を生産するときには原料の手当てが不可欠ですが、最小購入単位、最適購入単位というものが存在することを忘れがちです。試作品を作る時点と、本格生産に入った時点とでは規模が異なるので、事業開始にあたって、原料手当て問題をよく考えておくことが必要です。

 このように、創業前の準備が大切であることを強調しすぎることはありません。

 この事例は、ログハウスの売上げ増にともなってビジネスモデルを変更しなければならないことに気づかなかったことが失敗の原因でした。

 大量の注文が取れることを期待していながら、その事態になったときに、どのような課題があるかを検証していなかったのです。
 注文が少ないときは輸入商社の手持ちの建築資材でまかなうことができましたが、注文が増えるにしたがい、G工務店のための資材手配が必要となり、それには輸入単位があることに初めて気づいたのです。

 その単位は注文の数よりははるかに大きく、G工務店のための在庫となり、資材費が急増して、資金が回らなくなることがわかったのです。

 結局、せっかく営業がとってきた注文を断り、輸入商社の在庫に頼って、細々と継続するしかなく、成長を見込めないことがわかりました。事業計画は緻密でなければならず、事業のロードマップに沿った計画を細部まで検証しなければ、計画の齟齬(そご)に気づかないものです。3点セットの検証が甘かったことが根本原因と考えてよいでしょう。

失敗例(8)見当違いの広告戦略

 H社は当世はやりの健康食品の開発に成功しました。ベンチャー企業として初めての製品ですから、当然知名度はありません。
 また商品が新しい物で世間に知られていないため、まったく売れません。
 
 商品を顧客に認知してもらうために、マーケッティング活動を行うことにしました。費用はそう多くはかけられず、テレビ広告や新聞広告は問題外でした。投げ込み広告、タウン紙など比較的安価な広告を試してみました。しかしほとんど反応はなく、売上げにはつながりませんでした。
 
 問題は客層を絞り込んで、それに合った広告をしなかったことにあったようです。

 万人向けの広告は、日用品など知名度のあるものがどこで販売されているかを広告するには適していますが、初めて見る製品を、名前も聞いたことのないベンチャー企業が売り出す方法としては適していません。
 この商品を必要とする客層を絞込み、この人たちが多く見る対象に広告を打つべきでした。

 この失敗で数カ月間の時間を損しましたが、失敗から学んで、健康雑誌に絞って広告を打つことで、徐々に売上げにつながっていきました。創業前に立てた計画のなかに広告はどのような方法で行うか、使うべき広告媒体を詳細に検討していなかったために、貴重な資金と時間を無駄に使ってしまいました。

 商品の性格と顧客のマッチングを考えた事業計画を作成することがいかに大切であるかがわかります。この事例はまったくの失敗とはいえませんが、広告の媒体を最初に吟味していれば得られたはずの利益を取り損なった、という点では失敗と言えます。

失敗例(9)技術マニアでビジネス化の意思が薄弱

 I社の事例は明確な起業の意志と計画なしに起業して失敗したものです。

 この起業家は、現在は知人が堅実に経営する飲料水の浄化装置を開発・販売する会社で、一介のサラリーマンとして幸せに過ごしています。

 彼は、日本で脱サラ、ベンチャー起業がちらほら現れ始めた1980年代に大学の電気工学科を卒業、恩師、両親の期待をよそに、卒業と同時に大企業に行く道を拒み、先輩が起こしたベンチャー企業に参画しました。

 その動機は、ベンチャー予備軍意識とか大企業が嫌いとかいうものではなく、単にIT関係の面白い技術、先端的技術に携わりたかったという、よくいえば技術屋魂、悪くいえばモラトリアムのわがままな生き方に過ぎなかったものでした。

 そのベンチャー企業では、それなりの待遇を得ていましたが、5年後にその会社は立ち行かなくなって、他社に吸収合併されることになりました。それを機会に、これまでの仕事で知り合った電気関係を専門とする友人と、コンピュータのソフトと周辺機器の開発、制作、販売を行う会社を起業しました。

 ちょうどベンチャーという言葉をもてはやす風潮が出てきたせいで、数千万円の資金を出してくれる友人、親戚もいて、形としては意気揚々と船出をすることができました。

 しかしその際も、ベンチャーにつきまとうリスクや会社運営の難しさを認識して十分に準備してとりかかったわけではなく、何らかの新しい行動を起こすしかない状況に追い込まれた結果にすぎなかったのです。

 しかし、当時は日本におけるIT産業が開花し始めた時期であり、周辺機器の制作と販売あるいはソフト作成の下請け的受注が相次ぎ、ベンチャーとしては過ぎた売上げが定期的に続きました。
 パソコン通信をはじめとするデータのやり取りに関するソフト、IC設計CAD、3次元CAD、CAM(いずれもコンピュータによる設計・制作のこと)など米国で開発されたものをいち早く取り入れ、常に最先端の技術に接触して、それによって生計を立てるという技術者冥利の毎日でした。

 それは製品の開発と販売という、彼らの生き方を反映して象徴的です。自社製品としても、米国から導入したソフトを使った医療用検査装置を開発して、合計10台程度売れました。

 ところが若い経営チームはその実績を次につなげるための態勢作りを知らなかったため、結局その製品事業は立ち消えとなってしまいました。

 業績挽回のため、カラオケ店舗展開におけるレジシステムを考案し、大手カラオケ産業から請け負ったところまではよかったのですが、そのプロジェクトも中途で取りやめとなってしまいました。

 また、当時独自に開発した無人店舗の代金回収システムは、技術力を駆使した相当のレベルにあるもので、現在の類似システムのさきがけといえるものでしたが、特許化することを怠ったまま、システムの一部機器の制作を外部に委託したために、委託先企業に完全にマネをされ、かつ、商品の全体システムの開発とビジネス化で先を越されて、結局撤退せざるを得なくなりました。
 
 その主な原因は、直接的には権利化していなかったことであり、より資金力、事業力のある取引先にそっくりマネされ、より速いスピードとよりしっかりとした営業態勢によって先を越されたことにあります。

 その間に、社員の引き抜きにあったことも大きな原因といえます。その時点ですでに約10人の規模になっていたのですが、金銭的処遇、人間関係等の管理態勢が放任され、一部社員に不満が広がっていたのに経営陣が気づいていませんでした。

 まさにこれから売れる状態になってきたその段階で、信頼していた相手にすべてを奪われる結果となったのです。これを転機としてすべての歯車が逆回転し始めて、小さなソフト解析や小物の機器制作を受注するものの、経営としての運営が困難になってきました。

 助言者のすすめもあり、10人の従業員を3人に減らして一時立ち直りを見せましたが、大きな流れを変えるにはいたりませんでした。

 この流れをさらに加速したのは、まったく専門外の新たな商品の開発を手がけたことです。新たな商品とは、セラミックス系のキッチン用品で、それ自体知人のヒントをもとに試作し、この分野の素人の開発としてはそれなりのものができました。
 試し販売もなされましたが、結局、販路を開拓できず、事業としての成立にまではこぎつけることができませんでした。

 商社や大手流通経路も一時強い興味を示しましたが、会社としての足元の不安定、あるいは、当時漂い始めていた会社の沈滞・衰退ムードを相手に感じ取られ、推進力を失ってしまいました。
 
 その後、社長は自らの生活費にも困るようになり、事務所の縮小、ユーティリティーの一時遮断の憂き目にもあいました。今は知人の資源開発系の会社に会社と所有特許を供与するのと引き換えに、その会社で開発の一員に加わり、給料をもらっています。

 この事例で失敗の原因として言えることは次の3点に要約できます。

 ●明確な起業の意思(理念と計画)を持たず、成り行きに任せて起業した
 ●技術そのものの面白さが人生の目標と化し、経営のイロハも学ぼうとしなかった。重要な特許の取得を怠り、開発した製品の販売態勢すら作ることができない。社内の人間関係の不協和音に気づかないなど、事業として必要なポイントを押さえていない
 ●企業の経営責任者として、厳しい立場をこなしうる素養と経験を備えていない。また経営チームを自分と同じ専門の技術者と組んだため、見方が一面的になってしまった