「人体」見世物の世界
鬼娘、蛇娘、熊娘らの「奇形」という人生

鬼娘
この頭巾を取れば……鬼娘!

 徒然草の第50段に、「鬼娘」の話が出てきます。

《応長の頃、伊勢の国より、女の鬼になりたるを率(い)て上りたりといふ事ありて、その頃20日ばかり、日ごとに、京・白川の人、鬼見にとて出で惑ふ。
「昨日は西園寺に参りたりし」、「今日は院へ参るべし」、「ただ今はそこそこに」など言ひ合へり。まさしく見たりといふ人もなく、虚言と言ふ人もなし。上下、ただ鬼の事のみ言ひ止まず》


 応長というのは短くて、1311、12年の2年しかありません。京都では、このころ伊勢からやってきたという鬼娘の話題で持ちきりだったのです。
 ある日、「一條室町に鬼がいる」という噂が広がって、兼好法師も人をやって見に行かせます。結局、その日は夜まで騒ぎが続き、ついには争いごとまで起きてしまいましたが、誰も鬼娘を見ることはできませんでした。

 こんな昔から、人々は「鬼娘」が大好きでした。伝説だってたくさんあります。
 たとえば960年頃の戸隠山には「紅葉」という鬼女が住んでいて、平維茂(たいらのこれもち)に退治されました。これが「紅葉狩り」で、その場所は、以後「鬼の無い里」鬼無里(きなさ)という地名になりました。
 また、1340年頃、領地に向かおうとしていた大森彦七は、楠木正成の怨霊の化身「鬼女」に出くわし、殺されそうになります。

 これほど庶民に愛された「鬼娘」は、江戸時代になると、ついに見世物に登場します。

 滝沢馬琴の師匠である戯作者・山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(=絵本)『這奇的見勢物語』(こはめづらしみせものがたり)は、当時のさまざまな見世物を描いた作品ですが、そのなかに「鬼娘」が出てきます。

 その見世物の口上はこんな感じです。

《東西、東西、おめどほり(お目通り)にひかえましたる娘、きりやう(器量)は十人にすぐれましたれど、悋気(=ケチ)深き報ひによりて、心の鬼となり、さつまいものやうな角が生へ、西瓜(すいか)の種のやうな歯をむき出し、下は梅づけの大根の如く、背中には焼き飯のやうな鱗形の苔が生じ、肌は鳥肌にて、唐もろこしのやうにござります、よなよな(夜な夜な)やけ酒を飲み、うば(乳母)や、子をも喰ひます。大酒にては大丼(おほどんぶり)でお目にかけました。評判、評判》
 
 ちなみに最後の「大酒にては大丼」は「大阪にては道頓堀」のもじりなんですが、こんな感じで見世物にされていたわけです。

鬼娘
これが『這奇的見勢物語』の鬼娘
(本ページの全画像は『猟奇画報・天変地妖人異』号(1930年)より転載)


 この「鬼女」が実在したとすれば、恐らくは病気か何かで畸形になってしまった女性なわけで、可哀想としか言いようがありませんが、今と違って人権なんてないので、仕方ありませぬ。



 で、本題はここから。
 実は、江戸時代には、ほかにもたくさんの畸形女や奇形男が見世物にされていました。このあたり、「人権問題」のおかげで歴史から抹殺されているため、本サイトが取り上げてみたいと思います。
(なお、当たり前ですが、差別の助長や奇形を揶揄するのが目的ではありません。すべての歴史は等しく語られるべきという立場に立っているだけです)。

 まずは、俺が今までで見たもっともすごい奇形芸の持ち主はこの男。天保12年(1841)に江戸で興行した若松出目太郎。当時15歳の彼は、文字通り眼が飛び出しており、眼で醤油樽や米俵を持ち上げたと言います。

目力持
目力持(大阪出身)

 また、江戸末期にもっとも有名だった足芸女はこちら。天保7年、江戸、京都、大阪の3都で喝采をあびた早咲小桜太夫。手がなく、足で三味線を弾いたり生け花をしました。
(なお、ネットで検索すると彼女の名前は小桜ではなく小梅になっています。どちらが正しいのかちょっと手元の資料だけでは確認できないので、両方併記しときます。当時の刷り物に書かれたオリジナルの文字はこちら)。
足芸女
足芸女

 このように奇形を売りにした見世物はたくさんあるんですが、なかでも一番ありがちなのが、現在でも行われている蛇女(蛇娘)。いくら手習いや縫い物を教えても、蛇ばかり使ってまるで覚えないという少女ですな。この蛇女は一番手軽で、また盛り場にはなくてはならない興行でした。

蛇娘
油売りの嫁だった「蛇娘」


 一方、これに比べて「熊女」は珍しかったようです。黒人との混血児などを熊女(熊童子)と呼ぶことがありましたが、見世物の場合は一般に多毛症の人間のことを指しました。 
『見世雑誌』には、天保6年(1835)、名古屋で“展示”された4歳の熊娘について、次のように解説されています。

《越の国(北陸)なにがし村なる猟人の子なれ、殺生の罪の、子に報いて、斯(か)く怪しき身とは生れにけり……顔より手足まで、一面の黒き毛生ひつづけて眼鼻のつきどころさへわからず》

 目鼻がどこについているかわからないほど毛深くなった理由は、父親の殺生のせい。このように、たいていの奇形は「親の因果が子に報い」とされました。本来、「因果応報」とは、自分自身の行いが将来の幸不幸を決めるというもので、親は関係ないはずなのに……展示された人は可哀想としか言いようがありません。
 ちなみに、場合によってはこうした奇形が仏教の信仰で治癒したという伝説となって広がることもありました。こうして、奇形という「因果応報」は、布教の手だてとしても重要な役割を演じたのでした。

熊女
右上の「熊女」は、顔には毛がなかったみたい


 最後に、前出の『這奇的見勢物語』にあるトリの見世物を紹介しておきます。それは「人の心の見世物」。

人の心の見世物
人の心の見世物

《人の心は移りやすく、油断できない。
 一本足の心は進むことも引くこともできず、一生立ちすくむ。両頭の心は、どちらに行こうか、あれこれと心が定まらない。顔は人で、4本足の(獣のような)心もある。

 心の独楽(コマ)の心棒が定まらなければ、世の中を自由にはできない……》

 という非常に含蓄のある見世物なのでした。人の肉体的欠陥をバカにすると、心もゆがむということですな。

制作:2006年11月1日

●人体館はこちら
●衛生展覧会はこちら

<おまけ>
『這奇的見勢物語』には、奇形以外の見せ物として、軽業、からくり、中国の名鳥、猿の狂言、ウソの霊宝などがあります。あんまりおもしろくないんですが、目を引くのはやっぱり人魚ですかね。
人魚

 江戸時代にはたくさんの人魚やら天狗の見せ物がありました。現在、国立科学博物館で「化け物の文化誌」展が開催されていて、そこに人魚と天狗のミイラが展示されています。
 実物は長さ30cmくらいでこじんまりしてるんですが、科学的な調査によると、天狗の頭はネコの頭蓋骨で、人魚の下半身はシュロらしき木を利用して作ったようです。江戸時代の人って創意工夫にあふれてますな!

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