真珠湾攻撃


 アメリカは1941年11月27日、ハル・ノート(正式にはOutline of proposed Basis for Agreement Between The United States and Japan)を日本へ提出、これを日本側は「最後通牒」と受け取り、12月1日の御前会議で、日米開戦の決定を行いました。

 その内容は、仏印の領土保全、海外租界の放棄などですが、日本がとうてい受け入れられなかったのが、次の3点。

  1 中国からの撤兵
  2 南京政府(汪兆銘政権)の否認
  3 日独伊同盟からの脱退

 こうして、日本は12月8日午前3時25分(現地時間7日午前7時55分)、真珠湾攻撃を行うのです。
 そのときの様子を、当日の現地新聞より紹介しましょう。
 引用は「Honolulu Star-Bulletin」の号外第1刷です。

真珠湾攻撃
現地の号外
WAR!
(Associated Press by Transpacific Telephone)
SAN FRANCISCO,Dec.7.-President Roosevelt announced this morning that Japanese planes had attacked Manila and Pearl Harbor.

OAHU BOMBED BY
JAPANESE PLANES
SIX KNOWN DEAD,21 INJURED, AT EMERGENCY HOSPITAL

Attack Made On Island's Defence Areas

By UNITED PRESS

WASHINGTON,Dec.7.-Text of White House announcement detailling the attack on the Hawaiian island is:
"The Japanese attacked Pearl Harbor from the air and all naval and military activities on the island of Oahu,principal American base in the Hawaiian islands."

(以下日本語訳)

 オアフ島は本日午前7時55分、日本軍機により攻撃を受けた。翼の先には日本の象徴である日の丸が見えた。曇り空の中、南西方面から次々に攻撃機が飛んできて、平和で静かな休日の町にミサイルを撃った。
 政府筋に入った不確定情報によれば、オアフ島を襲った日本軍は、小さな2隻の軍艦で海域に入ったという。また米国艦船レキシントンを攻撃予定あるいは攻撃済みとも伝えられた。

(中略)

 軍はすべての市民に対し、道路及び高速道路から離れ、電話を使用しないように要請した。真珠湾及び周辺部で猛烈な煙が3本立っていることから、日本軍の攻撃が成功したことが分かる。すべての軍関係者、並びに、女性を除く民間国防関係者に、真珠湾での軍務が与えられた。
 高速道路はたちまち車であふれた。市内の病院には、爆撃開始からすぐに負傷者が運び込まれ始めた。電話会社は交換手を増やしたものの、非常に多くの電話に対処しきれていない。本紙でもたった1人の交換手に電話が殺到し、一時は新聞編集もお手上げ状態であった。そしてやはり緊急の交換手が呼ばれたのである。

(以下略)
同じ新聞の号外第2刷の見出しも書いておくと……


DEATH OVER 400 ON
OAHU, LATEST REPORT

TOKYO ANNOUNCES "STATE OF WAR" WITH U.S.

Japanese Raids On Guam,Panama Are Reported

Oahu Blackout Tonight; Fleet Here Moves Out to Sea

 これを超訳すると……

400人以上も殺された! 日本は今頃になって宣戦布告しやがった! グアムもパナマもやられたぜチクショー!
今晩の停電は絶対忘れねーぞ!! ジャップなんて攻めちまえ!

 てな感じですか?

 同じ日、日本ではこんな記事が出ました。
真珠湾攻撃
朝日新聞夕刊


 ちなみにこのときは各社からの号外が一斉に出ました。「東京日日新聞」12月8日付け号外の記事は以下の通り。


我が陸海軍今曉遂に
米英軍と戰鬪状態に入る
        西太平洋に決戰の火蓋
(大本營陸海軍部發表)(十二月八日午前六時)帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり


 国内では新聞統制のため、この日を最後に各社別の号外が出せなくなり、以後は「共同号外」の形を取るようになりました。彼我の物資の差はこんなところにも出てるんですね。


 真珠湾攻撃の写真はこちら

更新:2006年6月29日

<おまけ1>
 日本軍は空母6隻(飛行機353機)で攻撃、戦艦4隻を撃沈するなど太平洋艦隊を壊滅させました。このとき使った特殊潜行艇の乗員(2人乗りで5隻)9人がいわゆる九軍神(1人は初の捕虜)。軍部は「蔭に母の感化、尊し大和魂」とし、新聞やラジオを総動員して、軍国美談を作り上げました。以後、軍神(戦没者)は増える一方でした。

 参考までに九軍神の海軍合同葬(日比谷公園、1942年4月8日)の写真を公開しときましょう。攻撃の4カ月後というのが、何だかポイント。
九軍神の海軍合同葬

<おまけ2>
 ハル・ノートの試案はコーデル・ハル国務長官ではなく、ハリー・ホワイト財務次官補が中心となって作成したものです。この人物、実は後年にソ連のスパイだったことが判明しており、外交の奥深さを感じます。

広告
© 探検コム メール