ハワイの真珠湾攻撃
真珠湾攻撃
空母赤城を飛び立つ攻撃機

 真珠湾攻撃(昭和16年12月8日)の写真を公開しておきます。

 択捉島の単冠湾(ひとかっぷ)を出港した海軍機動部隊は、空母6隻、戦艦2隻、巡洋艦3隻など合計30隻の大艦隊でした。
 12月1日、御前会議が開かれ、攻撃日が12月8日と決定しました。このときの暗号電文が有名な「新高山(にいたかやま)登れ一二〇八」です。

 日本時間8日午前3時19分(現地時間7日午前7時49分)、第一次攻撃隊183機が真珠湾を攻撃。この成功を伝えたのが、暗号「トラ・トラ・トラ」です。


真珠湾攻撃
猛爆を敢行している日本軍機



真珠湾攻撃
惨憺たるフォード島周辺
※中央の白いものは命中した魚雷による水柱で、中央右の黒いものは飛行艇基地の火災による煙です。左下には4隻の船が並んでいますが、左より3番目が傾きつつある「戦艦ユタ」です。




真珠湾攻撃 真珠湾攻撃
わが必殺猛襲下の敵主力艦(当時の朝日新聞の見出し)
※右下がフォード島。右上の白い線は魚雷の跡で、その下には水柱が立っています。その周囲の黒い部分は流出した重油。左上の波状線は魚雷命中による波紋。なお、右の写真は当時の新聞が発表用に加工した写真。波紋や魚雷線がくっきりと。



真珠湾攻撃
魚雷命中の水柱



真珠湾攻撃
炎上するホイラー飛行場

 真珠湾攻撃を指揮したのは山本五十六ですが、第1次空中攻撃の総指揮を執ったのは淵田美津夫海軍中佐。
 圧倒的な勝利を受け、淵田は帰還後、永野修身(軍令部総長)や南雲忠一(第1航空艦隊司令長官)とともに、皇居に報告に行きました。
 真珠湾攻撃の様子を写真を添えて天皇に説明すると、天皇はいたく感心していたといいます。このときの様子を、淵田は自叙伝『夏は近い』にこう書いています。

《永野総長が、「ほかになにか御下問は御座いませんか」と、伺うと、「べつに」と、おっしゃったが、暫らくして永野総長に、「これらの写真は、持って帰るのか」とお問(たず)ねになった。永野総長は、「あとで表装いたしまして、御座右に備えます」とお答えすると、「ああ、それなら表装はあとでよいから、いますぐわたしが持っていく、皇后にお見せしたいから……」といったわけで、陛下が御自身、十数枚の写真を持って御退出されたのであった》

 おそらくこの中の何枚か、天皇が見た写真があるんでしょう。

 で、こちらは米軍が撮った有名な写真。

真珠湾攻撃
戦艦アリゾナ

真珠湾攻撃
これが真珠湾攻撃の旗艦「空母赤城(加賀)」

 なお、以上の写真は出元が確かなものですが、ネットオークションで「真珠湾攻撃」として売られていた写真を掲載しておきます。本物かどうかは保証しません。

真珠湾攻撃 真珠湾攻撃
艦隊から見た戦艦と空母。上空には攻撃機

真珠湾攻撃
攻撃中の日本軍機と、爆撃された滑走路

●真珠湾攻撃・号外
●真珠湾攻撃・プロパガンダアニメ映画(1942)
●真珠湾攻撃・プロパガンダ特撮映画(1942)

更新:2007年12月6日
真珠湾攻撃
こちら飛び立つ攻撃機の別カット

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