『そうだね、自警団の事件もえらいことだね。人間という奴は、存外落附(おちつき)のない、意気地のないものだッていう気がするね?』

 Hは言った。

『矢張、ああ言った心理があるんだな。つまり影を見て驚いたッていう奴だね? 平家は水鳥の飛び立つのを見て、驚いて混乱したと言って笑っていたが、今度のことを見ては、あれも笑えなくなるような気がするね?』

『でも、ああいうことはいくらかはあったんでしょう?』
『どういう?』
『大騒ぎしたようなことが?』
『さア、どうだかね。矢張、水鳥の羽音じゃなかったのかな?』
『そうだとすると、滑稽のような気がしますねJ

 Hは笑った。

『でも、ああいうことになると、どうしたって慌てるよ、人間は? 自分の命が惜しくなるからね。つい、多勢を恃(たの)んで、無茶なことをやってしまうんだよ』

『当局のやり方もわるいにはわるかったんですね?』
『それはそうだろう? 矢張、同じ人間だもの……』
 私はこう言って、『あのために罪に処せられたものが随分あるようだが、あれなどは気の毒だね?』
『本当ですよ、大手柄か何かのつもりでやったことが、罪になったというんですからね。びっくりしたでしょうよ』

『しかし、埼玉あたりでは、えらいことをやったもんだな……。つまり、震災の影響がああいう風になってあそこいらまで伝って行ったという形だね。こいつはたまらないと思ったんだね?』

『そうでしょう、田舎だッて、びっくりしたんでしょう?』
 こうHは言ったが、『僕なんか、埼玉あたりにでも行っていたら、きっとやられてしまっていたかも知れませんね……』
『どうして?』

『お話しませんでしたかね。あれはたしか6日の日だったと思うが、あなたの家から帰って行く時に、日暮れにS町のあの自警団のかためていたところを通って行ったんです。と、いきなり寄って来て、何処に行くんだッていうんです。何処だッて好いじゃないか? 何だ、貴様なんか、馬鹿々々しい、竹槍なんか持って? という腹があったもんですから、つい、そう言っちゃったんです? するとね、中から2、3人もバラバラと出て来て、頻(しき)りにいろんなことを訊くんです。

 私も、こういうものだ、S町の何処に行くんだッてはっきり言えば好かったんですけれど、つい業腹なもんですから、二言三言理屈を言ったんです。そうすると懐へ手をいれて財布を改めたり、挟の中をさがしたり何かするじゃありませんか。ああいう時に、マッチでも持っているとか、短刀でも持っているとかすると、えらいことになったんだと思いますね。何しろ常識では解釈出来ないんですからね?』

『ほう、そんなことがあったのかね? ちっとも知らなかった。それでどうしたね?』
 私は訊いた。          

『何でもなかったですけどもね。それでも、私の行くというところまで、自警団の人が2、3人ついて行きましたよ。別に何でもないとは思うけども、この人は少し変なことを言うですからなんて言ってね……。馬鹿にしていると、その時は思ったけれども、そういう空気だったんですね? あぶなかった!』

(中略)

 実際、あの時の自警団は、常識で律することの出来ないような一種の危険さを持っていた。何しろ、竹槍をつくったり、家重代(じゅうだい)のダンビラを持ち出したり何かしたのであるから——哨兵の職務までも自分で尽そうとしたのであるから——。

 しかしその自警団の変形である夜警も、この頃では大分厄介視されて来ていた。勿論、それがあるがために、郊外にも割合に事故が少ないのはそれは事実であったけれども、また、戒厳令の取り去られた後には、そういうものがあった方が好かったに相違なかったけれども、しかもそれに賛成するものばかりはいないらしかった。

 それに、始(はじめ)の中(うち)こそ、てんでに自分で出かけて行って、熱心にそれをやったけれども、震災気分の薄くなって行くのにつれて、次第にその熱も去って、後には、『もう好い加減にしようじゃありませんか』とか『こういう風に夜までやらなくってはならないのでは、とても体がつづきませんから、もうやめようではありませんか』とか、『むしろ、いくらかずつ金を出して、苦学生か何かにやらせる方が好いじゃありませんか』とか、いろいろな議論が出て、おりおり土地の有志の相談会などがあちこちに開かれるということであった。