香具師の誕生



 大阪府警が資金援助して刊行した『隠語構成の様式並其語集』(樋口栄、1930、非売品)によれば、上代以来、賎民は大宝律令によって5種類に分かれていました。

・官戸(かんこ)
 =雑役に使われた。口分田を受けるが収穫はすべて国有財産。没官(もっかん)された者、家人が主家の人と通じて生まれた子、66歳以上の公奴婢など
・陵戸(りょうこ)
 =天皇・皇后・皇族の陵墓を守る墓守
・家人(いえびと、けにん)
 =私有民の一つ。財産として相続されるが売買はできない
・公奴婢(くぬひ)
 =官有の奴隷で、労役に従事。奴は男子、婢は女子のことで「官奴婢(かんぬひ)」と同じ
・私奴婢
 =個人が所有していた奴婢。物品同様に売買された

 このほかに

・河原者(京都の鴨川で小屋がけした浮浪民か皮なめしをした役者)、
・傀儡子(くぐつ、人形遣い、手品師、浮女<うかれめ、歌や舞をして人を楽しませ、また、売春もする女>)

 などがあり、傀儡子が『香具商人往来目録』という寛永年間(16241645)の書籍に出てるので、差別部落から誕生したことが推測できます。

 時代的には、香具師と関係のある修験道の親玉・役行者小角が、699年に「人々を言葉で惑わしている」かどで伊豆島に流罪となっているので(『続日本紀』による)、このころには、すでに似たような商売があった可能性がありますね。

 江戸時代には大岡越前の下でスパイ活動をするなど、体制に寄って生きながらえますが、明治5年(1872)には、太政官布告196号で「香具師」の名目が廃止されます。これは、当時あまりにもニセモノやニセ薬を売る人間が多く、被害が多かったからです。

 ちなみに「やし」の語源の由来は定かではありませんが、以下のような諸説があります。

・薬師(やし)という江戸時代の薬売りと「香具師」が合わさった
・薬の行商を始めたのが「弥四郎」という男で、ここから「弥四(やし)」になった
・野武士が飢えをしのぐため売薬をしたことで、「野武士」→「野士(やし)」になった
・山師の略

 やはり、山師のような「嘘くさいインチキ商売」という印象は強かったんでしょうね。
 明治54月には高輪河岸の葭簀(よしず)張り茶店などが、11月には両国橋畔の茶店、広場の見世物、虎御門外茶店、九段坂上お堀端の茶店などに対し、取り払い命令が下ります(武江戸年表による)。こうして露店商売は大打撃を受けるのです。



 ところが、昭和5年(1930)になると、東京に露店が一気に増加します。これは、警視庁保安部が資金のない失業者など下層の人たちに露店営業を許可したからです。

《警視庁当局は、従来露店業者間には親分がいて、それぞれ「縄張り」なるものを有し、新規開業する時には不当の金を絞られる等の弊害が行われているので、今後はこの種親分の存在を許さず厳重に取締ることにしている。
 臨時指定地域として許可すべき条件は軌道のある場所は歩道が2間以上の広さでなければならぬが、軌道のない道路は沿道の商店の甚しい反対がない限り、あるいは交通整理上、特に不都合のない限りは極力許可して与えよというのである》(昭和5723日、東京朝日新聞夕刊)

「極力許可する」というのがすごいですね。今では考えれません。
 こうして、わずか1カ月で87カ所、6850人が屋台を開始しました。821日の東京朝日新聞によれば、許可されたのは次の道路です。

 ●京橋区
  銀座西1丁目、銀座8丁目、京橋西仲通、栄町15先、月島通1丁目、佃島本町2丁目、南伝馬町3丁目、八丁堀仲町
 ●浅草区 
  三河町3丁目、松清町、橋場町、神書町、永住町、阿部川町
 ●四谷区 
  新宿1丁目
 ●牛込区
  市ヶ谷田町1丁目、神楽坂1丁目、水道町3先、通寺町
 ●深川区
  西森下町38、西平野町3、黒江町34、霊岸町44先、同町1先、大工町63
 ●本所区
  押上29、同町125、中之郷原庭町35先、江東橋34丁目、太平町2丁目、番場町〜石原町間、東両国2丁目、緑町1丁目、同町4丁目、表町42、中之郷八軒町、中之郷平町
 ●神田区
  駿河台、小川町1丁目〜錦町1丁目間、神保町3丁目〜錦町1丁目間、末広町10
 ●本郷区
  駒込上富士前町
 ●日本橋区
  浜町1丁目〜米沢町間、日本橋123丁目
 ●下谷区
  清水町、龍泉寺町43先、同町151、谷中初音町1丁目
 ●赤坂区
  青山北町5丁目
 ●小石川区
  小石川町

 さらに、露店は拡大し、11月末時点で市内外154カ所、道路総延長8328間、営業人員16493名に達します。ところが、このうち実際に営業しているのは3分の1にも満たないことがわかりました。
 そして、昭和62月には、260カ所の露店を一気に整理してしまうのでした。


 露天商にとって最大の打撃は、昭和18年(1943)に施行された薬事法かもしれません。これは戦時体制の一環で、薬の流通に制限が加えられ、40万種あった日本の薬品が6000種程度に統合されました。
 そして、戦後、1948年には医薬品の製造、流通が登録制になりました。
 現行薬事法は1960年に施行されましたが、これにより完全に医薬品の流通に制限がかけられます。この年には道路交通法も制定され、もはやテキ屋の世界は完全に押さえつけられることになるのでした。