世界初の有人宇宙飛行
ガガーリン「地球は青かった」発言の真相

ガガーリン
ガガーリン


 1961年4月12日、モスクワ時間午前9時7分、ソ連で世界初の有人宇宙船「ボストーク(ウォストーク)」1号が打ち上げられました。ボストーク1号に乗っていたのはユーリー・ガガーリン少佐(27)です。

ガガーリン ガガーリン
搭乗直前のガガーリン


 ロケットが打ち上げられ、地上に落下しない速度(第一宇宙速度=時速2万8400km)を得て、運搬ロケットの最終段が切り離されると、宇宙船は地球をまわる軌道上で自由飛行を開始しました。飛行中、機器類の制御と、宇宙船の方向決定は自動的におこなわれます。

ボストーク1号
ボストーク1号


 ガガーリンは、上昇段階では、終始、地上の司令センターと無線電話で連絡を取り合っていました。船室内の騒音はジェット機より低く、のぞき窓からは地球が観察できます。
 宇宙船からは、「飛行は順調に続いている。地球を観測しています。よく見えます。すべてを見ることができます。一部の空間は積雲におおわれています」と連絡してきました。これが人類が初めて見た地球です。

 約300kmの高度からは、地表がよく見えました。
 海岸線、大河、地表の起伏、森林、雲、そして雲の影が鮮明に見え、ソ連領内ではコルホーズの畑も見えました。

 空はまっ黒で、星は地上から見るよりもずっと明るく輝いています。
 地球は美しい青い光輪につつまれていて、地平線の色はやわらかい淡青色から、青、藍、すみれ色を経て、空の黒色へと移り変わっていきます。地球のかげから出ると、地球の地平線には明るいオレンジ色が観察できました。このオレンジ色は、虹の7色に次々と変わっていきました。

 9時51分、宇宙船の自動方向決定装置にスイッチが入れられ、宇宙船は方向を太陽のほうに向けます。
 9時52分、ガガーリンは、南米最北端のホーン岬上空を飛びながら、「気分は良好。船上の機器は正常に稼働している」と報告を送ります。

 10時15分、自動プログラム装置から、宇宙船の制動エンジン(逆噴射)点火準備の指令が下りると、アフリカ上空から「飛行は正常に進行中、私は無重量状憩によく耐えています」との報告が入ります。

 10時25分、エンジンが点火され、宇宙船は衛星軌道を離れ、降下に移ります。

 そして、10時35分、ボストーク1号は大気圏への突入を開始し、10時55分(日本時間午後4時55分)、予定地域に着陸し、108分間の飛行が終了しました。

ガガーリン
地球に帰還直後のガガーリン


 ガガーリン少佐は、着陸後、こう語っています。

「党と政府、ならびに個人的にフルシチョフ首相に、着陸は正常におこなわれたことを報告してください。私の気分は良好で、外傷や打撲傷はありません」

 これに対し、フルシチョフ首相はこんな祝電を送ります。

 親愛なるユーリー・アレクセービッチ!
 あなたが衛星船「ボストーク」号で最初の宇宙飛行というすぐれた英雄的な偉業をなしとげたことに熱烈なあいさつを送ることができるのは、私の大きなよろこびです。
 全ソビエト国民があなたの光栄ある偉業に歓喜しています。それは人類への奉仕のための勇気と果断とヒロイズムの模範として永遠に記憶されるでしょう。
 あなたがなしとげた飛行は、人類の宇宙征服の歴史における新しい1ページを切りひらきました。ソ連国民の心は大きなよろこびと社会主義祖国にたいする誇りにみたされています。
 宇宙飛行からあなたが祖国へ無事帰還したことを心からお祝いし、あなたを抱擁します。
 では、モスクワでお会いしましょう。

  1961年4月12日
                       エヌ・フルシチョフ


 当たり前ですが、冷戦時代、宇宙開発は国威発揚の最たるものでした。
 実際、4月14日の歓迎会では、フルシチョフはこう演説しています。

《ツァー(ロシア皇帝)、資本家、地主から権力をたたかい取ったわれわれは、ときにはハダシで着るものもろくにないような状態のなかで、国内戦の戦火のなかでこの権力をまもりぬいた。当時どんなに多くの軍事戦略家たちが、かれらのいわゆる「浮浪者の軍隊」の避けがたい敗北を予言したことだろうか。ところがどうだろう。これらのなさけない戦略家たちは、いまどこにいるのか?
 われわれが最初の共産主義土曜労働を始めたとき、われわれが新しい高炉の基礎を定め炭坑を建設したとき、われわれが「五カ年計画」「工業化」「電化」「集団化」「全国の文盲一掃」などの流行語を全世界にまきちらしたとき、未開のロシアはけっして大工業国にはなれないだろうと予言した尊大な「理論家」たちが、なんとたくさんいたことだろう。これらのなさけない予言者たちは、いまどこにいるのか?(中略)

 われわれは誇りと不動の確信をもって、全世界に宣言する。
 1917年に10月革命によって開始された社会主義建設を成功のうちに実施し終わって、われわれは大レーニンが示した道に沿い、共産主義建設をめざして着実に、大胆に前進している。世界には、われわれをこの道からそらすことができるようなカは存在しない。勝利はわれわれのものとなるだろう。そしてそれは、もっともけだかい、もっとも明るい勝利となるだろう》



 実際の演説では、この後に、《この勝利は一国が他国あるいは国家群を支配したり、一国民が他国民を支配したりする状態をもたらすのではなくて、世界のすべての人々に幸福をもたらすだろう》と言っていますが、ロケットは大陸間弾道ミサイルと同義であり、アメリカの焦りは相当なものでした。
 アメリカは翌5月5日にアラン・シェパードを宇宙に送りこむことに成功し、米ソの宇宙開発はさらに激化していきます。

ガガーリンを祝う民衆
赤い広場でガガーリンの偉業を祝う民衆


 なお、ガガーリンは「地球は青かった」という言葉で有名ですが、実際にはこのように言っていません。4月13日、ガガーリンが「イズベスチヤ」紙に語った次の言葉が語源です。

「地球のあかるい表面から、星の見えるまっくらな空への、すばらしく色どりゆたかな移りかわりを見ることができました。この移りかわりの境目はきわめてデリケートで、ちょうど地球をとりまく薄い膜の帯のようでした。それは淡青色の薄い膜でした。そしてこの空色から暗黒への移りかわりは、すべてきわめてなだらかに、しかも美しくおこなわれていました。それはとても言葉では言いあらわすことができません。わたしが地球のかげから出ると、地平線はまるで変わって見えました。そこには明るいオレンジ色の帯があって、つぎにそれがふたたび淡青色へ、さらに暗黒色へと移りかわっていきました」

 ソ連最高の英雄となったガガーリンは、宇宙から帰還した7年後の1968年3月27日、飛行訓練中に墜落死しています。享年34。



 さて、本サイトでは、ガガーリンの宇宙飛行を記念して、当時のソ連大使館が制作した「人類最初の宇宙飛行 ソ連人間宇宙船の成功」という小冊子を入手したので、重要なところをすべて復刻しておきます。一部翻訳調で読みにくい部分もありますが、ガガーリンの最も詳しい資料といえると思います。

●4月12日、宇宙飛行の様子(総論=このページ)
●4月13日、ガガーリンのインタビュー(「地球は青かった」の出典となった「イズベスチヤ」紙の全文)
●4月14日、祝賀会の様子
●4月16日、ソ連邦科学アカデミーでの記者会見
●幼少期から家族まで27歳の履歴書
●宇宙船「ボストーク1号」の構造
●宇宙飛行士の訓練方法

●NASAの誕生・宇宙開発の歴史

ガガーリン
人類初の宇宙飛行に成功し、パレードするガガーリン
(フルシチョフ首相、妻と)

制作:2013年2月17日

<おまけ>

 当時のタス通信によれば、「ボストーク」の公転周期は89.1分、近地点での高度は175km、遠地点での高度は302km。宇宙船の軌道面の赤道面に対する傾斜角は65度4分。
 重量はガガーリンの体重込みで、運搬ロケット最終段の重量を除いて4725kgとされています。

 なお、ガガーリンの通信記録は以下のような単純なものが多かったようです。
「地球を観測しています。よく見えます。あなたの声はよくきこえます」
「飛行は順調につづいています。地球を観測しています。よく見えます。……すべてを見ることができます。一部の空間は積雲におおわれています」
「飛行はつづいています。万事正常です。すべてうまく動いています。すべてとてもうまく動いています。さらに前進しています」
「気分は良好、元気さかんに、飛行をつづけています。万事順調、機械は正常に働いています」
 ちなみに、秒読みが進んでロケットが発射台を離れた瞬間、ガガーリンは「パイェーハリ(さあ行こう)」と言ったそうで、ロシアではこちらが名ぜりふとして有名です。

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